横浜駅東口・みなとみらいと車の往来の激しい国道1号線
思わず、パチリと写真を撮りましたよ

一昔前・本当に昔は、どの学校にもあったはずが
二宮金次郎の石像がありました。
小学校には必ず、正門とか校庭にこの銅像がどの学校にもありました。
薪を担ぎ本を読む二宮金次郎の石像
ランドセルを背負った通った小学校時代
勤勉になれ・・の目標の像でしたが・・
本を左手に持ってますが、ちなみに右手に持ってる石造もあるそうな・・
金次郎の教えで大切なことは
勤労 勤労の徳。
分度 動かせるものと動かせないもの、動かせる範囲で行動する。
推譲 譲は人道。子孫に、他人に、来年に譲る。
『喜んでくれる人のために学びながら一生懸命働く』同時に哲学を磨き上げる姿が大好きです。
いつから、小学校から撤去されたのでしょうか??

コカコーラの自動販売機に向かって
お勉強中の二宮尊徳さんです
あぁ
時代が変わってしまったのでしょうか?
国道1号線の、横浜方向の上り車線
京浜急行「戸部駅」の近く 戸部警察署並びにあります

車のなかからパチリと撮影しました
しっぽ動物クリニック
卸問屋 渡辺直治商店の間に立ってます
処分されずに、公衆の前に披露されてることに感謝しないとね・・
貴重な像ですからねぇ
そもそも、なぜ小学校に二宮金次郎(尊徳)の像があるのか?
それは、彼の境遇にあります。
彼、金次郎は天明7年(1787年)に小田原市の裕福な農家に生まれ安政3年(1856年)に70歳で亡くなりました。
生まれた頃は裕福でしたが、川の氾濫で田畑を失い、お父さんは金次郎が14歳で、お母さんは16歳の時になくなりました。
そこで叔父さんに預けられるのですが、ある夜 明かりをともして本を読んでいると叔父さんに怒られたのでした。「お前は誰のおかげで飯を食っているのだ。油がもったいない。」というのです
金次郎は今度は空き地に菜種を植え、出来た菜種と油を交換して本を読むのですが、また叱られるのです。
お前の時間は俺の時間だ。お百姓に学問はいらないというのです。
それから始まったのが、左の写真にあるように、槙を背負い歩きながら本を読む姿なのです。
やがて金次郎は叔父さんの家から独立し、実家の再興に取り掛かりました。
そして勤勉と倹約に努め、24歳で以前のような裕福な家に再興しました。
それを知った小田原藩士服部家に財政の建て直しを頼まれ、これも成功する事が出来ました。
それが広まり今度は小田原藩の分家にあたる桜町領(栃木県二宮町)の再興を頼まれたりして、生涯に615の村々を立て直したといわれています。
金次郎は桜町領を再興するときに、武士の位を授けられ二宮尊徳となりました。
このことは身分差別の象徴だと言う方もあると聞きましたが、二宮金次郎がそういう時代に生きていたということで、生涯にどういう業績を残したとか、どのようなものの見方考え方をしたかという事とは違うと思います。
むしろどのようなことを人々に説いたかということが大事ではないかと思います。
二宮金次郎 (唱歌)
二宮金次郎』(にのみやきんじろう)は、童謡、唱歌のひとつ。文部省唱歌。作詞、作曲ともに不詳。
歌詞
1.柴(しば)刈り縄ない 草鞋(わらじ)をつくり
親の手を助(す)け 弟(おとと)を世話し
兄弟仲よく 孝行つくす
手本は二宮金次郎
2.骨身を惜(おし)まず 仕事をはげみ
夜なべ済まして 手習(てならい)読書
せわしい中にも 撓(たゆ)まず学ぶ
手本は二宮金次郎
3.家業大事に 費(ついえ)をはぶき
少しの物をも 粗末にせずに
遂には身を立て 人をもすくう
手本は二宮金次郎