津和野には、森鴎外の生家があります。
その、森鴎外の父は開業医をしており、
森林太郎(鴎外本名)は小さい頃、父の処方箋を伊藤博石堂(薬局)にもって行き、薬を処方してもらったそうです。
その、伊藤博石堂の一等丸の紹介です。
森鴎外先生が軍医部長として日露の戦いの出征の時に、
五代目伊藤利兵衛が選別に差し上げたところ、
その効能が迅速なことに大変喜ばれて、その後愛用されたそうです
陽があたり、ショーケースが反射してしまい残念・・・・
伊藤薬局の大きな木製看板・・
ショーケース右側に伊沢蘭奢という女優のポスターが飾られている。
「女優X・・・・」、テレビ化された作品です。
六代目の伊藤利兵衛の妻だったシゲさんが、色々とある苦悩の人生を経て、
離婚後、女優になった話なのです
今回、伊藤博石堂(薬局)の接客をしてくださった店主は、八代目伊藤利兵衛さんですから、おばあさんになるんだよね・・・・
早速、本を購入しました。
「女優Xー 伊澤蘭奢の生涯」
早速、一等丸の紹介です
漢方薬なのです。
薬事法で、第二種に分類されてしまいました。
山崎光男著 「日本の名薬」 の、なんと第1項に紹介されてます。
39の名薬が紹介されていますが
10ページに、津和野のタカツヤ伊藤薬局で
作られている一等丸が紹介されています。
森鴎外も愛用した胃腸薬 一等丸
棚には、一等丸の袋がズラリー・・・
一等丸は銘薬なのです
看板薬ですよね
中国 北京中医学院 一等丸 とあります
歴史を感じるね・・・・
旅行で食べすぎ・呑みすぎで体調が・・・
歩くのも、調子が悪くて苦しい・・・
ホテルで苦しんでしまいました
二日酔いかな???
そこで、思い出したのです・・・一等丸のこと
10粒服用したら・・
10分くらいで効いてきた
すごい・・・
ガイドさんが、胃痙攣(いけいれん)になったr、20粒くらい一気に飲めば、10分ほどで嘘のように楽になるそうです
そもそも、タカツヤ伊藤薬局は
一等丸の製造元である高津屋伊藤博石堂の創業は寛政10年(1798)で、薬種問屋だった。
伊藤博石堂は代々、伊藤利兵衛を名乗り、現在は八代目です。
一等丸は、五代目利兵衛が創始した胃腸薬です。
明治29年(1896)に正式認可が下りて本格的な製造が開始されていた。
五代目利兵衛は、森鴎外の3歳上で、森家(武家)と伊藤家(町家)は、古くから親交があったのです。
一等丸の袋も箱もレトロです
効能・効果
食滞(食べすぎ、飲みすぎ)、しぶり腹(おなかがキリキリする)、食傷(食あたり)、下痢、宿酔(胸やけ、吐き気)疝癪(さしこみ、冷え痛)船車酔、胃腸虚弱である。
一等丸は急性胃腸疾患のときは、大人で1回、20粒を頓服(一度に飲む)する。薬の趣意書には「効能迅速な点」が鴎外に喜ばれ、「以後御愛用戴きました」とある。
慢性胃腸疾患には、大人、1回、10粒を一日3回、毎食前に水または白湯で服用。
裏面の効能書きや成分が記述されている。
当薬(とうやく)、千瓱(ミリグラム)
黄蓮(おうれん)、五百瓱
芦薈(あろえ)、 二百瓱
亜仙薬(あせんやく)、 一千瓱
胡椒(こしょう)、 一千瓱
龍脳(りゅうのう)、 一百瓱
小茴香(しょうういきょう)、 三百瓱
木香(もっこう)、一千瓱
丁字(ちょうじ)、四百瓱
甘草(かんぞう)、三百瓱
内モンゴル牛角櫛
静電気が起こりにくい櫛
1個1050円です。
昔、薬をつぶす道具
上の左⇒中国
上の右⇒韓国
左側 ⇒日本
の道具です
古くからの、薬の道具が
お店の窓に展示されてます
「新日本永代蔵 」船橋晴雄著書 企業永続の法則
20ページに、タカツヤ伊藤博石堂
「本の虫」が継ぐ、鴎外ゆかりの漢方薬局
女優X 伊澤蘭奢の生涯
(いざわ らんじゃのしょうがい)
夏樹静子 著書
伊沢 蘭奢(いざわ らんじゃ)ウンチク
伊沢 蘭奢(いざわ らんじゃ、1889年11月28日 – 1928年6月8日)は日本の新劇女優。
しかし、東京で観た松井須磨子の舞台を忘れかね、演劇を目指すため意を決し離婚。6歳の息子(後の作家、伊藤佐喜雄)を婚家に残し、29歳で上京した。
上山草人主宰の近代劇協会に加わり、舞台女優として歩み始める。しかし、1918年の島村抱月と松井須磨子の死を機に、畑中蓼坡 主宰の日本新劇協会へ参加する。松井亡き後の新劇界をトップスターとして10年もの間に渡って支えた。
1923年には松竹蒲田やマキノ東京と契約し、「三浦しげ子」名義で映画にも出演する。郷里に残した息子に自らを知らしめる目的だった。
1928年、舞台『マダム X』が大当たりする。名実共に大女優の仲間入りを果たすが、同年脳出血で死去、満38歳の若さで帰らぬ人となる。
著書・素裸な自画像