原爆子の子の像 佐々木禎子さんの像が建立されるまで

 アメリカ・オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞された

  また、広島長崎市が共同で20年夏季五輪の招致を検討すると表明した

     そして、本日は米国のジョン・ルース大使が広島平和記念公園に訪れた・・

 核兵器は、本当に世界から消えるのでしょうか??

    以前、美輪明宏さんのコンサートに行ったことがあります

     その中で、美輪明宏さんが「戦争の悲惨さ」切実に話されてました・・・

   被爆国 日本はもっと、もっと、発信したいのですが、管理人も含めて本当に被爆・原爆について真剣に向き合ってるのかと自問自答してしまいます。

   

(2009.9.1訪問)

 

    ここが、原爆の子(千羽鶴の塔) 佐々木子さんの像です

      折り鶴は、子さんが病気の回復を祈って、折っていた折鶴をモチーフにしてます

          

 

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建立年月日 

1958(昭和33)年55日(こどもの日)

 

 

建立者

広島平和をきずく児童・生徒の会

 

制作者

菊池一雄(当時・東京芸大教授)

この像は、禎子さんの旧友たちの

 

 心のこもった運動で建立されました

 

 

碑文

「これはぼくらの叫びです

   これは私たちの祈りです

     世界に平和をきずくための」

 

 

 

 

 

 

 バスガイドさんの説明は

 

 

  2歳で被爆した禎子さんは、とても、元気な明るい子供で、クラスでも人気者でした

  

  ところが、10年後の小学校6年生の時に突然白血病と診断されました。

 

    担任の先生から提案がありました。

 

    「みんなが毎日は病院にお見舞いにいけないが、

        行ける人がバラバラでお見舞いに行ったらどうだろうか?」

 

    そこで、竹組のお友達(クラスメート)達は、

        2人3人で毎日毎日いろんなお友達がお見舞いに行ってました。

    

    が、小学校も卒業して、中学校に入学し、竹組のクラスメイトはバラバラになり、

         いつしか貞子さんの病院のお見舞いに行く人はいなくなってました・

 

  そんな中、先生から「佐々木禎子さんは亡くなりました」と、報告を受けたそうです。

 

     病院で、回復を祈っの闘病生活の後、1955(昭和30)年1025日に短い生涯を終えました

 

 

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 禎子さんが亡くなり、子供達は自分達に何が出来るのか?

  と、考えました。

 何も出来なかった悔しさがあたのです。

  みんなで話し合いました

   「サダコちゃんのお墓をたてられないだろうか?

      近くにお墓があったら、毎日お参りできるから・・」

 

 同級生は立ち上がりました

  原爆野犠牲になった子供のために、平和記念公園に像を作ったらどうだろうか?

 

 

募金を集めるために、紙に自分達の気持ちを書いて印刷しました。

  当時、ガリ版という手法で印刷しました。

   なかなか、募金は集まりませんでした。

     あるとき、全国の小学校の校長先生の集会があったのです。

      その校長先生達にも、ガリ版印刷した紙を手渡ししたそうです・・・

       なかなか読んでもらえなかったのですが・・・

北海道の校長先生が、自宅に帰って手渡しされた紙を読んで、感銘をうけたのです。

  その校長先生が学校で話したり、校長間で話が伝わり次第に和が広がりました。

 

     全国の3100校以上の学校

      イギリスをはじめ世界9か国からの支援

        「建設に役立てて欲しい」と、多くの手紙と募金が集まったのです

 1957(昭和32)年1月、平和記念公園のなかに「原爆の子の像」を建設が正式に決まったのです

    像の完成は、佐々木禎子さんが亡くなって2年後の、1958(昭和33)年のこどもの日です

 

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三脚のドーム型の台座の頂上に金色の折鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像(平和な未来への夢を託している)が立ち、左右に少年少女の像(明るい未来と希望を象徴)がある。(高さ9m)

 

像の下に置かれた石碑には、

  「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです

           世界に平和をきずくための」

            という碑文が刻まれている。

 

 

 

 

 

 

佐々木禎子さんをはじめ原爆で亡くなった多くの子どもたちの霊を慰め、

                                世界に平和を呼びかけること  

 

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 塔の内部には、少年少女たちの気持に感動した

  ノーベル物理学賞受賞者である

    湯川秀樹博士の筆による「千羽鶴」

  「地に空に平和」の文字が彫られた

     銅鐸を模した鐘がつられ、

      その下に金色の鶴がつるされ、

         風鈴式に音がでるようになっている。

 

2002(平成14)年4月には、「原爆の子の像」に捧げられる数多くの折り鶴を雨露から守るため、像の周囲に新たに屋根付きの折り鶴台(ブース)が整備された 

 

 

 

 

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 広島平和記念資料館に展示 

     2歳のときに広島市に投下された 

       原子爆弾によって、爆心地から1.7kmの自宅で黒い雨により被爆した。

 

同時に被爆した母親は体の不調を訴えたが、禎子は不調を訴えることなく元気に成長した。

  1954年8月の検査では異常なかった。

    しかし、11月頃より首のまわりにシコリができはじめました

(資料館の中のモニター画面です)

   ※資料館愛はフラッシュをたかなければ撮影は可能でした

 

1955年1月にシコリが おたふく風邪のように顔が腫れ上がり始める。

   病院で調べるが原因が分からず、2月に大きい病院で調べたところ

         白血病であることが判明、長くても1年の命と言われ入院した。

              募金のために子供達が書いた文面もありました。

 

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 禎子さんは  「鶴を千羽折ると病気が治る」と信じ、薬の包み紙や包装紙などで1,300羽以上の鶴を折り続けました 

鶴は次第に、ドンドン小さくなりました 

 

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 薬の、袋でも、折りました・・・なんと、悲しい鶴なのでしょうか・・

 

         鶴の姿に折られることのなかった   折りかけの鶴 です。。。

                        細かい鶴には針を使って折ったそうです

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闘病生活で折っていた

 佐々木 禎子さんが、 セロハンで折った鶴です。 

しかし、鶴は最後まで折られなかったのです・・・

 

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  佐々木禎子さんの折り鶴

現在の千羽折鶴は、病気回復・長寿などの願いがありますが、そのルーツは佐々木禎子さんの折り鶴が起源といわれてます

1955年8月に名古屋の高校生からお見舞いとして折り鶴が送られ、折り始める。禎子だけではなく多くの入院患者が折り始めた。病院では折り紙で千羽鶴を折れば元気になると信じてツルを折りつづけた。8月の下旬に折った鶴は1000羽を超える。その時、同じ部屋に入院していた人は「もう1000羽折るわ」と聞いている。その後、折り鶴は小さい物になり、針を使って折るようになる。当時、折り紙は高価で、折り鶴は薬の包み紙のセロファンなどで折られた。死後、禎子が折った鶴は葬儀の時に23羽ずつ参列者に配られ、擱に入れて欲しいと呼びかけられ、そして遺品として配られた。

禎子が生前、折った折り鶴の数は1300羽以上(広島へ宇和記念資料館発表)とも、1500羽以上(「Hiroshima Starship」発表)とも言われる。実際の数については遺族も数えておらず、不明である。また、三角に折られた折りかけの鶴が12羽有った。その後創られた、多くの創話により1000羽未満の話が広められ、折った数に関して多くの説が出ている。

 

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