世界遺産 巌島神社  干潮の全貌 第3段 写真で紹介

安芸の宮島

  干潮の全貌 第3段  本殿の紹介  

   2009.9.27ブログ 安芸の宮島 巌島神社 干潮 鳥居の地面からの姿 貴重な画像

     の続きです・本殿の紹介

 

P1110054.jpg

 

 

世界遺産 入り口

 

世界文化遺産 の木の看板

 

この廊下は、廻廊(かいろう) といいます

廻廊は幅4m、長さは約275m。床板の間に目透しという隙間があり、高潮の時に下から押しあがってくる海水の圧力を弱め、海水や雨水を海へ流す役目を果たしています。

 

 

 

 

P1110026.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

  

 朱色の本殿は、あでやかの中に厳かさがあります。

                                   「鏡の池」水がありません・・・

P1110060.jpg
P1110061.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すべての、建物には水がなく、なんか寂しい景色でしょ 

五重塔はすごく、存在感があります

P1110063.jpg
P1110068.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五重塔(ごじゅうのとう)《重要文化財》

千畳閣の隣に建つ五重塔は、和様と唐様を巧みに調和させた建築様式で、桧皮葺の屋根と朱塗りの柱や垂木のコントラストが美しい塔です。高さは27.6m。応永14年(1407年)に建立されたものと伝えられています。内部は完全な唐様で、一般の見学はできませんが、内陣天井に龍、外陣天井には葡萄唐草、来迎壁の表には蓮池、裏には白衣観音像などが極彩色で描かれています。塔内にあった仏像は、明治元年の神仏分離令により、大願寺に遷されました。またこの五重塔が建つ塔の岡は、厳島合戦で陶軍が陣を構えたと伝えられています。

 

 

 

海に浮かぶと、優雅なんですが・・ 

 

P1110071.jpg
P1110072.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここが、床から地面についてる、小さな柱になってます

 

 

P1110074.jpg
P1110075.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 能舞台もあります。 

 
P1110099.jpg

 

P1110097.jpg 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

能舞台(のうぶたい)《重要文化財・江戸時代》

 

国内でも唯一の海に浮かぶ能舞台。現在、重要文化財に指定されている国内5つの能舞台のうちの1つでもあります。厳島での演能は、永禄11年(1568年)の観世太夫の来演がその始まりとされ、慶長10年(1605年)には福島正則が常設の能舞台を寄進。現在の舞台と橋掛及び楽屋が建立されたのは藩主が浅野氏に代わった延宝8年(1680年)のことです。この能舞台は海上にあるため通常は能舞台の床下に置かれる共鳴用の甕(かめ)がなく、足拍子の響きをよくするため舞台の床が一枚の板のようになっているのが特徴。春の桃花祭神能がこの舞台で演じられるほか、茶道表千家と裏千家家元が隔年交互に執り行う献茶祭ではここでお茶が点てられ御神前に献じられます。

 

 

 

P1110088.jpg

 

平舞台(ひらぶたい)《国宝・平安時代》

寝殿造りの庭にあたる部分で、広さは167.6坪(約553平方メートル)。安元2年(1176年)、平氏一門が社参して千僧供養が行われた際、社殿の前方に仮廊を設けたという記録があり、こうした仮廊が常設となったものともいわれます。前方には火焼前(ひたさき)と呼ばれる突き出た箇所があり、管絃祭の出御・還御はここから行われます。また他の社殿の束柱は木造ですが、この平舞台を支えるのは、毛利元就によって寄進されたと伝えられる赤間石の柱。火焼前分と合わせると239本あります

 

 

 

 

 

 

 

P1110090.jpg

高舞台(たかぶたい)《国宝・平安時代》

本社祓殿前にある、黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄をめぐらし前後に階段をつけた舞台で、平清盛が大阪・四天王寺から移したという舞楽がここで演じられます。舞楽の舞台としては最小のもの。現在の舞台は天文15年(1546年)、棚守房顕によって作られたもので、当初は組立て式だったものが江戸時代初期に現在のような作り付け構造になったと考えられています。

 

 

 

 

 

P1110092.jpg

 

この、お宮は大鳥居を背に建てられてます

 

本殿を守る、お宮となります

 

 

 

 

 

 

  

 右を見ても、左を見ても、海はどもにありません 

P1110100.jpg
P1110101.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P1110087.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 わたる、橋すら・・・水が名の野です

 

P1110103.jpg
P1110104.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

反橋(そりばし)《重要文化財》

かつては重要な祭事の際、勅使がこの橋を渡って本社内に入ったことから別名・勅使橋(ちょくしばし)とも呼ばれました。現在の橋は、弘治3年(1557年)に毛利元就・隆元父子によって再建されたもので、擬宝珠の一つに刻銘が残っています。

 

 

 

本殿から見る、大鳥居になります。

P1110105.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                   大鳥居からにた、本殿となります。 

 

P1110139.jpg
 本殿(ほんでん)《国宝・平安時代》

繊細かつ華麗な切妻両流造りで、正面には緑青塗りの引き違いの菱形の格子戸がはめられた本殿には、市杵島姫(いちきしまひめ)・湍津姫(たぎつひめ)・田心姫(たごりひめ)の宗像三女神が祭られています。屋根に神社の定番とも言える千木と鰹木を持たず、桧皮葺の屋根に瓦を積んだ化粧棟のスタイルを取り入れた寝殿造りならではの様式が特徴です。現在の本殿は元亀2年(1571年)、毛利元就によって改築されたものです。

 

 P1110114.jpg

  大鳥居 おおとりい

 本社火焼前(ひたさき)より88間の海面にそびえる朱塗りの大鳥居は、奈良の大仏とほぼ同じ高さの16m、重量は約60t。主柱は樹齢500~600年のクスノキの自然木で作られており、8代目にあたる現在の鳥居を建立するにあたっては、巨木探しに20年近い歳月を要したといいます。また根元は海底に埋められているわけではなく、松材の杭を打って地盤を強化し、箱型の島木の中に石を詰めて加重するなど、先人の知恵と工夫によって鳥居の重みだけで立っています。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>