森鴎外 生家  「舞姫」の詩—扣鈕(ぼたん)の詩碑と内容

森鴎外

 

鴎外の生まれは、石見国鹿足郡津和野町田村横堀。1862年(文久2年)1月19日に誕生。

そうなのです・・・

森鴎外(本名・森林太郎)は文久2年(1862)1月19日石見国津和野に、津和野藩医 森静泰 峰子の長男としてこの家に生れ、明治5年(1872)に10歳で上京するまでここで過ごした。

 

その、幼少の頃に、薬局の伊藤博石堂に、父の処方した薬を取りに出かけたのです・・・

 

その、

 

森鴎外の生家は伊藤家が買い取り、津和野市に寄贈して、現在は重要文化財として保管されているのです。

 

昨日(一等丸 伊藤博石堂)の、当主が買い求め、大切に保存していたのです

 

鴎外の生家。 復元して公開されています。
 森家は、代々、津和野藩主亀井侯の典医を務めていたので、く調剤室も残っています

 

     4畳半の彼の勉強部屋

 

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 角にある家具(棚は)

   父、森静泰の使用した薬箱

 

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左から、

 父の森静男(静泰)

 

中央

 母 森ミネ(通称 峰子)

 

右は、

 森鴎外(本名 林太郎)

 

 

 

 

 

 

 

               森鴎外先生詩碑

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この碑は、鴎外の扣鈕(ぼたん)から佐藤春夫の筆により建立された。

 

  日露戦争中、激戦となった南山の戦いで無くしたカフスボタンを惜しむ詩。

 

    詩碑の題字は漢詩人 土屋竹雨(本名 久素 秋田出身)

 

 

「舞姫」の詩—森 鴎外

 

             扣 鈕 (ぼたん)

           南山の  たたかいの日に
           袖口の  こがねのぼたん
           ひとつおとしつ
           その扣鈕(ぼたん)惜し

           べるりんの  都大路の
           ぱっさあじゅ 電灯あおき
           店にて買いぬ
           はたとせまえに

           えぽれっと  かがやきし友
           こがね髪   ゆらぎし少女(おとめ)
           はや老いにけん
           死にもやしけん

 

           はたとせの  身のうきしずみ
           よろこびも  かなしびも知る
           袖のぼたんよ
           かたはとなりぬ

           ますらおの  玉と砕けし
           ももちたり  それも惜しけど
           こも惜し扣鈕
           身に添ふ扣鈕

 

 

      注釈 20年前、ベルリンで買ったコートの釦を、日露戦争の戦場でなくしてしまった。

           そのころまだ若かった、肩章(えぽれっと) を付けていた友人の将校も、

                 黄金色の髪をなびかせたあの少女も、

                     今ではもう歳老いたか、亡くなったかもしれない。

          20年前の想い出を知るぼたんを戦場で失ってしまった。この戦争で
              多くの人命を失ったことは惜しいことだが、そのときにこのぼたんを
                   失ったことは、自分の青春を失った思いで、とても惜しい

 

  

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